Arts Managerを志すwackyのロンドンからの徒然メモ
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演奏会とは |
昨年末から頻繁に読むようになったブログの一つに『ゴルドーニ』があります。
そのなかで、バイエルン歌劇場総監督だったSir Peter Jonas(2006年8月退職)の講演語録があります。 そこで、面白いと思う言葉を見つけたので、ご紹介したいと思います。 「オペラは、人々の考えを刺激するためにあるのです。」 オペラだけが人間の営みで一番創造的な分野ではなく、芸術に仕えるからといって特権的であるのでもない。我々オペラ・カンパニーで働く者の大義は、オペラという芸術様式によって、我々の精神の内なる声を探る、社会における我々の役割を探る、そしてこの地球という惨めな惑星の中にいる仲間とともに、我々の存在という問題について語り合う場を作るということである。 この言葉を読んだとき、ミュンヘンに住むイタリア系ドイツ人の友人の言葉を思い出しました。 「Arts should be provoking.」 彼は、一緒にバイエルン歌劇場に『白鳥の湖』を観に行った帰りに、何回も繰り返し言いました。公演の演出自体は、私には十分モダンでドイツらしい解釈の仕方だなと思ったのですが、彼の目には「保守的」で「クラシックすぎ」て、面白味に欠けていたそうです。翌日、彼の研究室の友人と、3人で話をしている時にも、やはりこの話題が出て、彼も「芸術は社会にとって、常に何かを発信するべき存在で、だから人間社会にとって大切なんだよ」と言っていました。 私が驚いたのは、彼らが頻繁にクラシック音楽や芸術(いわゆるhigh art)に触れなくとも、彼らの社会生活に必要だと思っていることと、それに関連して政府がサポートするのは当然だと思っていることでした。ミュンヘンというドイツの中でも、水準の高い都市にいるからなのかもしれませんが、そういう考えの人は多いという話にも驚きました。 一方で、日本人の知人たちの話を聞いていると「今日の演奏会はとてもリラックスできて良かった」というような感想がとても多いように思います。確かに仕事を終えて疲れて演奏会に行くことが多い日本社会では、演奏会は「リラックス」の場としての需要が高いのかもしれません。日本の文化の流行傾向として、一時「癒し」や「リラックス」が主流になっていました。 これを考えると、「触発」をもとめるのと、「リラックス」をもとめるのでは、プログラム内容が大きく変わってきます。プログラムも変われば、マネジメント側も色々と違う方向で動く必要性がでてきます。 社会的に私たちの感覚を触発するような音楽や芸術が、日本にはどれぐらい求められているのか、少し疑問に思います。日本社会に求められる「芸術」というのは、もしかしたら根本的に違うものなのかも知れないと思います。 PR |
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