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マンガと文化と芸術とオタク。
CATEGORY : [Thoughts] 2007/12/29 10 : 31
皆さん、ご存知の方多いですが、私、マンガ大好きです。
でも、オタクじゃない域だと思っています。
私の周りには読む人と読まな人ときっぱり分かれますが、私のマンガ好き度は至って「人並み」だと思われます。


海外にこうやって暮らしてみると、やっぱり「マンガ好き=オタク」のような風潮にさらされる機会が必然と出てきます。マンガは子供のもの。大人が心躍らせるものではない。と。現に英語で「Otaku」という単語があるぐらいです。

秋口に知人の紹介で出会った英国人の方は、職業がマンガ/アニメ系の「グラフィッククリエーター兼デザイナー」で、私からみればでも本人は「ボクはオタク」だと言うわけです。大英博物館にも「Manga」関連の専門書(歴史書みたい)が常設で販売されています。外務省管轄の在英日本領事館のホームページにも「Creative Japan」というページがあって、そこにはちゃんと「マンガ/アニメーション」のカテゴリーがあります。


で、最近、そこで思うわけです。
一体、日本の現代社会でマンガやアニメはどこまで「芸術文化」扱いされてるのかなと。

アニメはちょっと私の思考回路外(ただのにわかファン)になるので、大雑把な意見になりますが、宮崎アニメを筆頭に日本のアニメーションは、世界的にみても、描写や写実方法などの技術面もストーリー性も「芸術性」を高く評価されています。反面、アニメーションだから「食わず嫌い」されるのも事実です。

マンガは、私は日本社会をうまく反映しているのかなと思います。電車で、制服姿の学生が参考書を読みふけり、大人が漫画雑誌に没頭する、なんて光景は日本では当たり前です。三国志やブッダを筆頭に歴史もののマンガも小学校の図書館にあった『裸足のゲン』も、教科書代わりのように存在します。イギリスではどれも考えられません。

例えば、私の好きな漫画のひとつに『きみはペット』という作品があります。20代後半のバリバリのエリートキャリアウーマンの話。現実には有り得ない設定で、でも多くの成人女性の共感を得た作品です。で、それに批評がついた。
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/kimi-pet.html

この批評を読んでいて、日本人にとって、マンガやアニメーションというのは、癒しであり、社会風刺であり、そして心理的な欲望の象徴であるのかな、と私は思いました。たぶん、それは東京ディズニーリゾートの大盛況ぶりにも通じることで、超勤勉な日本人の現実逃避手段なのかもしれません。だから、日本人の目線にたってみている限りでは、マンガはマンガであって、アニメはアニメ、萌えは萌えであって、決してそれが「芸術」だとかそういうレベルで考える必要はないわけで、それが社会に「風景の一部」であるというのが唯一確かのように思えます。


でも、マンガちっくなポップアートをサブカルチャーから一躍、欧米で「芸術作品」に押し上げたアーティストも沢山いるわけです。村上隆とか奈良美智とか。(今、ヒマなときに村上隆著『芸術起業論』を読んでます。)

芸術に関して大切なのは、何においても線引きだと思います。特に現代美術。たとえば、子供の書いた絵と画家が描いた絵と似たり寄ったりなのに、何が「芸術作品」なのか、一体何が決めるんでしょう。現代音楽も、騒音が「作品」になる。でも、どうしてそれが「作品」になるのか。単に「美しい」とか「技巧的だ」とか、そういう伝統的な物差しでは計りきれない領域のものがたくさんあります。「ユニーク」であること、「オリジナル」であること、「独創的」であること。それだけで作品が「芸術」になるわけでもありません。それを評価する「母体=社会」があって、はじめて「芸術」が生まれます。


今、大きなレベルで「マンガ/アニメ」を世界に“輸出しよう”という流れがあります。世界を魅了する日本の「現代文化」として。これは、私には面白いことだと思います。どこまで海外で評価されるのか。マンガやアニメに対する精神的なイメージが社会的に違う環境で、どうやって展開されていくのか。

話が壮大になりましたが、私はマンガは芸術文化になりうると思います。なんでもピンからキリまであるので、日本のマンガ全部が芸術文化になるとは言いません。でも、マンガが日本文化の一部である以上、芸術として評価される日もそう遠くないと思うのです。




【余談?】
こういうこと書いてるから、オタクだよとか言われるんだと思うんです。
でも、どんな分野の専門家も、結局はオタクだと思うんです。
ただそれが医療なのか、司法なのか、政治なのか、美術なのか、スポーツなのか。学問として確立されている分野だったら、どんなに突っ込んだ論争をしても「学術的」と判断され、社会的価値があると意義づけられる。
でも、もしそれがサブカルチャーだと一気に「オタク」と宇宙人扱いされる。
それって、ちょっと不公平だと思います。
たしかに人の役に立たない知識かもしれない。
でも、その人の好奇心をみたし、知的欲望をかき立て、それで「職業」が成り立つなら、その人は立派な「専門家」だと私は思うんです。
だから、私はオタクでもいいかなと思ったりします。苦笑
知的好奇心と愛情をこめて、オタッキーな分野の勉学に励みます。
はい。




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