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J'ai 25ans.
CATEGORY : [Thoughts] 2008/03/25 23 : 34
イヤでも何でも、歳月の流れには叶わず、22日をもって、25歳になりました。
この状態で、この無成長っぷりで25歳でいいのか、至極不安です。

最近の過去3年間を振り返っても、今までを振り返っても、誕生日に「パーティ」をしたことがなかったので、今年は思い切ってやってみました。自分で自分のパーティを企画しないといけないのが、悲しいトコロです。サプライズとかだったらいいのにとも思いますが、イベント企画も業の一部なので、仕方ありません。

当日、イースターの忙しい時期にごつきあいくださった皆様、本当にありがとう。
メッセージを送ってくださった皆様も本当に有難うございます。
予期せぬプレゼントがいっぱいで、人生初めて、プレゼントとカードの山を体験しています。想いもかけないぐらい沢山の人と過ごせて、すごくすごくすごーくシアワセでした。


どんな日だったかというと、ヒョウのようなユキのような白い物体がちらつく寒い日でした。午後からSohoで美味しいクレープを食べて、夜は夜中1時までワイワイ。当事者は徒歩10分で帰れるので気楽なもんでした。ウッシッシ。でも、本当はもっと早く帰りたかったですが、主催者がゲストを置いて買えるわけにも行かず…。あは。


  ●○●○●○  ●○●○●○  ●○●○●○


25歳って本当に重いです。苦笑
これからの5年間について、色々と考えます。
5年後、社会的にも経済的にも自分がどうなっていたいのか。
もうフワフワとしてられないことだけが、確かで、でも、目の前にはこれといって確かなものは見えなくて、なんの手応えもなくて。


最近、『外資系トップの仕事力』という本を読んでいます。
彼らは全員「男性」で、仕事にのめり込んで、打ち込んで、夢中になって、そういう20代後半〜30代の様子を読むと、少し羨ましく思えます。たくさん気づかされる言葉が詰まっていて(今の私とこれからの私へのエールのごとく)、ちょっとだけココロがほわっとできる本です。その中に、今の私への一番の言葉があります。

「値踏みはしない」
「四の五の言わずに仕事をする」
「仕事を利用して、自分を高める」


なので、この1年は↑の言葉を念頭において、何事も好き嫌いしないで与えられたチャンスを大切に勉
学に励みます。目の前に確かな目標があっても、なくても、今思い描くことが全て現実になるように、日々修行です。


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こめんと [ 2 ] とらっくばっく [ ]
マンガと文化と芸術とオタク。
CATEGORY : [Thoughts] 2007/12/29 10 : 31
皆さん、ご存知の方多いですが、私、マンガ大好きです。
でも、オタクじゃない域だと思っています。
私の周りには読む人と読まな人ときっぱり分かれますが、私のマンガ好き度は至って「人並み」だと思われます。


海外にこうやって暮らしてみると、やっぱり「マンガ好き=オタク」のような風潮にさらされる機会が必然と出てきます。マンガは子供のもの。大人が心躍らせるものではない。と。現に英語で「Otaku」という単語があるぐらいです。

秋口に知人の紹介で出会った英国人の方は、職業がマンガ/アニメ系の「グラフィッククリエーター兼デザイナー」で、私からみればでも本人は「ボクはオタク」だと言うわけです。大英博物館にも「Manga」関連の専門書(歴史書みたい)が常設で販売されています。外務省管轄の在英日本領事館のホームページにも「Creative Japan」というページがあって、そこにはちゃんと「マンガ/アニメーション」のカテゴリーがあります。


で、最近、そこで思うわけです。
一体、日本の現代社会でマンガやアニメはどこまで「芸術文化」扱いされてるのかなと。

アニメはちょっと私の思考回路外(ただのにわかファン)になるので、大雑把な意見になりますが、宮崎アニメを筆頭に日本のアニメーションは、世界的にみても、描写や写実方法などの技術面もストーリー性も「芸術性」を高く評価されています。反面、アニメーションだから「食わず嫌い」されるのも事実です。

マンガは、私は日本社会をうまく反映しているのかなと思います。電車で、制服姿の学生が参考書を読みふけり、大人が漫画雑誌に没頭する、なんて光景は日本では当たり前です。三国志やブッダを筆頭に歴史もののマンガも小学校の図書館にあった『裸足のゲン』も、教科書代わりのように存在します。イギリスではどれも考えられません。

例えば、私の好きな漫画のひとつに『きみはペット』という作品があります。20代後半のバリバリのエリートキャリアウーマンの話。現実には有り得ない設定で、でも多くの成人女性の共感を得た作品です。で、それに批評がついた。
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/kimi-pet.html

この批評を読んでいて、日本人にとって、マンガやアニメーションというのは、癒しであり、社会風刺であり、そして心理的な欲望の象徴であるのかな、と私は思いました。たぶん、それは東京ディズニーリゾートの大盛況ぶりにも通じることで、超勤勉な日本人の現実逃避手段なのかもしれません。だから、日本人の目線にたってみている限りでは、マンガはマンガであって、アニメはアニメ、萌えは萌えであって、決してそれが「芸術」だとかそういうレベルで考える必要はないわけで、それが社会に「風景の一部」であるというのが唯一確かのように思えます。


でも、マンガちっくなポップアートをサブカルチャーから一躍、欧米で「芸術作品」に押し上げたアーティストも沢山いるわけです。村上隆とか奈良美智とか。(今、ヒマなときに村上隆著『芸術起業論』を読んでます。)

芸術に関して大切なのは、何においても線引きだと思います。特に現代美術。たとえば、子供の書いた絵と画家が描いた絵と似たり寄ったりなのに、何が「芸術作品」なのか、一体何が決めるんでしょう。現代音楽も、騒音が「作品」になる。でも、どうしてそれが「作品」になるのか。単に「美しい」とか「技巧的だ」とか、そういう伝統的な物差しでは計りきれない領域のものがたくさんあります。「ユニーク」であること、「オリジナル」であること、「独創的」であること。それだけで作品が「芸術」になるわけでもありません。それを評価する「母体=社会」があって、はじめて「芸術」が生まれます。


今、大きなレベルで「マンガ/アニメ」を世界に“輸出しよう”という流れがあります。世界を魅了する日本の「現代文化」として。これは、私には面白いことだと思います。どこまで海外で評価されるのか。マンガやアニメに対する精神的なイメージが社会的に違う環境で、どうやって展開されていくのか。

話が壮大になりましたが、私はマンガは芸術文化になりうると思います。なんでもピンからキリまであるので、日本のマンガ全部が芸術文化になるとは言いません。でも、マンガが日本文化の一部である以上、芸術として評価される日もそう遠くないと思うのです。




【余談?】
こういうこと書いてるから、オタクだよとか言われるんだと思うんです。
でも、どんな分野の専門家も、結局はオタクだと思うんです。
ただそれが医療なのか、司法なのか、政治なのか、美術なのか、スポーツなのか。学問として確立されている分野だったら、どんなに突っ込んだ論争をしても「学術的」と判断され、社会的価値があると意義づけられる。
でも、もしそれがサブカルチャーだと一気に「オタク」と宇宙人扱いされる。
それって、ちょっと不公平だと思います。
たしかに人の役に立たない知識かもしれない。
でも、その人の好奇心をみたし、知的欲望をかき立て、それで「職業」が成り立つなら、その人は立派な「専門家」だと私は思うんです。
だから、私はオタクでもいいかなと思ったりします。苦笑
知的好奇心と愛情をこめて、オタッキーな分野の勉学に励みます。
はい。






こめんと [ 0 ] とらっくばっく [ ]
ガツガツと。
CATEGORY : [Thoughts] 2007/11/15 08 : 20
ガツガツ勉強することに決めました。
たとえ限界が見えていても、限界を遠くに押しのけるために、ガツガツと行きます。
少しぐらいカッコわるくても、ガツガツと行きます。
カッコイイとかワルいとか、そんなの関係ありません。


根っからのマンガオタクなので、毎日「エースを狙え」の名言をココロに刻んでいます。
(1番目のは少しウル覚え。)

「現在の自分の限界を知っていなければならない。
 けれども、自分の未来に限界をおいてはいけない。」

「この一球は絶対無二の一球なり
 されば、心身をあげて一打すべし
 この一球一打に技を磨き、体力を鍛へ
 精神力を養ふべきなり
 この一打に今の自己を発揮すべし
 これを庭球する心といふ」



貪欲に。
愚直に。

勉強は底なし沼です。
人生は宇宙です。

だから、私は未知に出会い、それが未知でなくなるまで、
未知のモノが私の前からひとつもなくなるまで(不可能です。)
迷ったり悩んだりしながら、探検を続けます。
もしかしたら、すっごい宇宙人や惑星に途中で出会うかもしれない。
それって、考えるだけでも、ものすごくドキドキします。


今の私だから出来ることを
今の私にしか出来ないことを

過去の私には出来なかったことを
未来の私に全部を託せるように

飽くなき探究心と向学心を!
これって、最高にシアワセなことです。






こめんと [ 0 ] とらっくばっく [ ]
勉強するということ
CATEGORY : [Thoughts] 2007/10/12 06 : 50
正直、今回の留学、というより、この修士課程は時期尚早だったのではないかと感じている今日この頃です。けれども、ネガティブにいても得ることは何も無いし、とにかくやるほかないので、私にできる範囲で吸収していこうと思います。


なぜ「早い」と思ったのか。

これは、始めからわかっていたことですが、私には「実務経験」がほとんどありません。たった6ヶ月のインターンと、少々のアルバイト経験。イギリスの近代現代史や政治に精通しているわけでもないので、授業で「サッチャー政権が…」とか「ブレア時代の教育改革が…」と突然切り出されると、頭の中に「?」が100個ぐらい飛び交います。「実務経験」がないので、具体的なケースを考えることも、現在の問題点を考えることも出来ず、結局当たり前の情報網に頼るほかありません。でも、それはもうわりきるしかないと、やっと切り替えられるようになりました。私には私にしかない視点を1つでも多く見つけて、originalityとcreativityを私自身の中に見つけていくことしか出来ないし、それが最終的に大きな意味を持つと思っています。

勉強すると言うことは、良い成績をとったり、試験に合格したりすることではないと今更のように思います。ただ本をよんでるだけでは、限界があります。だから、学校に行って、友達と話しをすると、自分の脳みその中も整理されるし、何よりも話し込んでいくことで、thoughtsがdevelopされていくのが手に取るようにわかって、本当に面白いです。国が違えば、文化も違う。政治も違うし、言葉も違う。だから、いろんな意見が、いろんな方向から飛んできて、刺激が多いです。



I thought this MA was too early after the first week. Yet, I cannot keep mayself being negative, and this was what I deserved. I may not be able to achieve many things during my course as others do, but it does not matter. The important thing for me is how much I can develop my thoughts on Arts Admin and how much I can be creative in the future. It is absolutely a great opportunity to deepen and widen my world, not only knowledge but also experience. It is like finding a key to open the door. It should be fun.












こめんと [ 0 ] とらっくばっく [ ]
日本の演奏会スタイル
CATEGORY : [Thoughts] 2007/07/26 06 : 41
あるオーケストラの掲示板を読んでいて、気になったのでメモ程度に。
とゆーか、私のブレインストックとして書きます。


今の日本のクラシック演奏会は大抵が開演7時。
これって結構、日本で働いてる聴衆には厳しいのかなと思う。
6時退社で、演奏会場に1時間以内で移動して、余裕を持って着席しているって、このトウキョウじゃ不可能に近いような。だって、6時退社自体、かなり厳しいのが現実。

ロンドンにいると、オペラでもオケでも演奏会は、よっぽど長いプロでないかぎり、7時半開演。だいたい、この国は「6時退社」ってなると、皆、17時55分にはもう帰る準備万端って感じだし、フレックス制度がある会社は5時退社って会社も少なくない。おまけにロンドンは東京よりも狭いから、移動時間も少なくてすむし、開演前に軽い食事をとることも、もちろん可能。

今、働いてる施設では、7時半開演の公演の場合、大体のお客様は7時頃には到着して、早い人たち(結構、スーツ姿が多い)は6時半前にはすでに館内のレストランやバーでくつろいでるお客様がが多い。

じゃあ、簡単に開演時間を遅くすればいいじゃんってことになるけれど、それも、ちょっとばかり難しいのが現状。何故かと言うと、運営側にも大きな違いがあって、日本だと、私の知る限りでは、ホールの閉館時間にあわせて、主催者がホールを借り、その借りた時間に併せて、運営進行を組み立てる。例えば、夜枠17〜22時で借りた場合、22時に完全撤退をするためには9時過ぎには終演しなければならないわけで、そうするとプログラムも7時開演からの2時間で休憩時間や出入り(必要であれば、舞台転換)の時間も含めて、組み立てる。そうすると、自然に90分プロが最大になってくる。もし、これを7時半開演にずらして、演奏会を行ったとしても、もし何かトラブルがあったり、開演時間そのものが遅れたりすると、さらに終演時間が延びて、結局22時撤退に完全に間に合わなくなる。そうすると、今度は「延滞料金」のようなものが発生して、主催者側の懐に打撃が発生する、と。笑

前述の私の勤務先の施設は、基本的に8:00〜23:00にパブリックに開いていて、結婚式や特別なパーティなどのクライアントイベントがあれば、24時過ぎまで貸し出すこともしばしば。もちろん私たちもクライアントが延長を希望すれば、居残ることになるわけだけれども、なんだか「ah okay」ってかんじで実にサラッとマネジメント側が引き受けてしまう。更に言えば、日本のホール貸りる場合、打ち合わせの時に、椅子も机も譜面台もマイクもライトも何もかも1桁単位までキチッと必要個数を申請して、それでホール賃貸料とは別に請求されるのだけど、なんだか当地のマネジメントを見ている限りだと、そんなプロセスが存在するのか疑いたくなる風合い。

こっちのホールの名物風景といえば、休憩時のアイスクリームとワイン?皆、とにかくよく買う。売ってる側としては、どうもありがとうとしか言いようがないけれど、でも、これも「カルチャー」なんだなぁと思う。演奏会にくるのが、本当に生活の一部になっているというか、特別なことじゃないんだなという感じが強い。良い演奏を聴いて、休憩時に会話を楽しんで、また良い音楽に浸かって、家路につく。こういうことを考えると、もっと社会学的なことの考察が必要になってくるけれど、そうなると、もうこれは音楽業界がどうのこうのできる範疇じゃないのかなと悲しくなったりもする。

「カルチャー」といえば、customer service(お客様係?)側も大分「姿勢」が違うように思う。とにかくお客様至上主義がないから、日本のようなああいうサービスはない。言葉の言い回しこそ違えど、とにかくフレンドリーさが第一で、あとはもちろん日本とは違うレベルの献身さが求められる。服装からして、大分違うのも事実。あのフェスティバルホールのお客様係の制服が、Tシャツでビックリしたのはつい最近の記憶。私の施設のお客様係は、第一にお客様の安全(通常時/緊急時ともに)、第二にcutomer experienceの向上という基本柱がある。お客様の安全に関しては、毎回各イベント開演前に各会場で「evacuation briefing」というのがある。何をするかと言うと、公演内容、主な進行時間、注意事項(場内飲食の規制、プレスやマスコミ来場、カメラ撮影、持込み可能手荷物、disable customerの確認、座席変更、配布物/販売物連絡など)の確認とともに、緊急時に備えた避難経路確認/誘導灯点検と模擬訓練を必ず全員で行う。日本でこういうの役職についたことがないだけに、なんとも言えないけれど、初めは圧倒された。ああ、お客様の命を預かるんだと、叩き込まれた感じがした。


なんだか、支離滅裂になってきたのでこの辺で。
結局なにが言いたいかっていうと、日本の現状を変えるには、社会や人々の生活スタイル自体を変えないといけないわけで、それには音楽家やマネジメント側がどんなに七転八倒したところで、手に負えない部分があるんじゃないかということです。








こめんと [ 2 ] とらっくばっく [ ]
文は人となり。
CATEGORY : [Thoughts] 2007/05/09 22 : 17
文は人となり。


言葉はout put tool。
知識はin put tool。


だから、言葉を磨かないといけない。
良い本をいっぱい読んで、いい言葉にいっぱい出会わないといけない。
そうしたら、英語だろうと日本語だろうと「美しい」言葉が私の中で溢れ出すはず。


私を形作る「文」を。
精進あるのみ。





こめんと [ 0 ] とらっくばっく [ ]
ときどき。
CATEGORY : [Thoughts] 2007/04/21 05 : 16
ぜーーーーーんぶ投げ出して日本に帰りたいなぁと思う。


そういうときは、

独りで居るのにあきあきしたとき
独りでご飯を食べるのが我慢出来なくなったとき
何か思いっきり打ち込みたいのに打ち込むことがないとき
居場所がないなぁと思うとき

なんだか停滞中。


バイト探しにも疲れが…
狙って受けたポジションは、全部最終面接でオサラバ。
やっぱり売り込みにかけるのか、英語力にかけるのか。
もう一般のバイトにかけるしかないのか。
なんだか負けてるなぁ。

うじうじ。


体中の血が熱くあるようなことがしたい。
生きてるって実感出来る時間が欲しい。
良い仕事がしたい。
笑顔がほしい。


やっぱり留学ってタフ。
でも、やるっきゃないよと言い聞かせて…
そんなんばっかりで肩すかしばっかりで…


だから、只今後ろ向き中。
悪しからず。






こめんと [ 0 ] とらっくばっく [ ]
Why She Lost: The Interpreter.
CATEGORY : [Thoughts] 2007/04/10 05 : 38
I have been wondering why Kurara could not become Miss Universe 2006 for a long time, and now I think I found what she missed.

I was pretty skeptical about the crawning of Miss Puerto Rico. She is beautiful, but so is Kurara. Let's forget about I am a Japanese and I am a fan of Kurara, but I was too doubtful the final judge. If the world adores the appearance of Latin Beauty, how could asian beaties fight in the Universe. Having read the article which is available from <http://criticalbeauty.com/MU_Telecast_2006.html>, I reached a certain reason. Rafael Robert Delfin starts his review from

" MISS PUERTO RICO WINS MISS UNIVERSE
But Samurai Queen steals the show"

I quite understand what Delfin wanted to mean. His article seems to be bitter indeed as he continues:

WE LOVE THE SAMURAI QUEEN : I attended a Miss Universe party (no, not in Los Angeles) but in Boston at the new residence of my dear friends Steve Mocanu and Harrison Gonzalez. Four other guests (three of whom had never seen a Miss Universe telecast) had been invited including Maria Lekkakos, Miss Massachusetts USA 2004, a former rival of Shandi Finnessey in Miss USA 2004. After the top ten finalists were narrowed down to top five, all of us unanimously agreed that Miss Japan should win based on her personality, style, sincerity, multilingual skills, and of course, beauty. Initially, I had wanted Miss Switzerland to win based on looks alone, but she lacked personality. I didn't care much for Miss Paraguay, who I thought was rather pale and lacked energy in the swimsuit segment. There was no doubt that Miss Puerto Rico was the most beautiful, and since it is a beauty contest, it is only fair that the most beautiful should win. But Kurara Chibana took our breath away. It was more than her persona and supreme projection on stage; it was her ability to connect with the audience. During the first round of Q & A, she acknowledged the roaring audience for their support; she became emotional, almost doing a Yulia Lemigova, the second runner-up from Russia in Miss Universe 1991 who was choked by her emotions during the Q & A segment, but won the audience with her shining sincerity. To this day, Yulia is still very much loved and adored by pageant fans. Kurara is the new Yulia, and she will be surely remembered for a very long time.

WHY SHE LOST : It might have been Kurara's response to the final question that cost her the title. Each of the five finalists had to pick a question out of a bowl, and the question that Kurara had picked was the one made up by Miss Paraguay: "If you could change something in the history of humanity, what would you change and why?" Responding in Japanese and translated into English, she answered: "I believe there is not so much difference between men and women... only biggest difference will be the physical power of a man and sometimes men exploit his power and if we can only relinquish that kind of violence and also the kind of exploitation, we'll be better." Huh? Human nature is not the same as humanity. I wonder if the Japanese interpreter had misunderstood the question in English. Usually, questions with philosophical bent are not appreciated much in Anglo-Latin pageants. Perhaps in Asian or European ones, yes. So if Miss Japan's question sounded philosophical, naturally she had to respond philosophically because she had been culturally programmed to do so. Compare her profound response with Rivera's somewhat fabricated and unoriginal response to Glebova's question regarding the definition of success.



So, now we all see what a wrong point was. The little gap which happened between two languages when they were transmitted. It was a tricky misunderstanding but it became a big matter. Being a Japanese, to grasp the term "humanity" seems to be difficult. Therefore it could be understandable that the interpreter chose "ningen" as "humanity" but actually that was not quite right to translate. The way she interpreted for Kurara was "Human Nature" rather than "humanity".

You can watch how she and her interpreter did the final question from here: You may have to skip to 3'48".

According to Dicstionary.com, "humanity" means

1.all human beings collectively; the human race; humankind.
2.the quality or condition of being human; human nature.
3.the quality of being humane; kindness; benevolence.

But, Oxford Advanced Learner's English Dictionary difines:

hu•man•ity /hju:'maen{shwa}ti/ noun
1 [U] people in general: crimes against humanity
2 [U] the state of being a person rather than a god, an animal or a machine: The story was used to emphasize the humanity of Jesus. * united by a sense of common humanity
3 [U] the quality of being kind to people and animals by making sure that they do not suffer more than is necessary; the quality of being humane: The judge was praised for his courage and humanity. opp inhumanity
4 (the) humanities [pl.] the subjects of study that are concerned with the way people think and behave, for example literature, language, history and philosophy—compare science


Well, so it was taugh for both. We cannot blame on the interpreter. But I just wish if Kurara could approach a bit father with her answer becasue she was nearly there. Delfin seems to be a huge fan of Kurara as he adds the stinging remark that

Everyone knew that Zuleyka had undergone plastic surgery to improve her looks, or rather she had been subjected to cosmetic enhancements to attain the look that Trump desired. But Zuleyka is not any different from her predecessors (Denise Quiñones, Iris Casalduc, Carla Tricoli, Cynthia Olavarría) - all of whom had been under the knife to improve their looks and to increase their chances of winning. When you try to sell a product, you have to make sure that it looks and tastes good; otherwise, no one would buy it. Magali Febles, the national director of Miss Puerto Rico Universe, had been testing the waters and she knows what kind of look would or would not sell. Not to mention her special connection with MUO. Yes, dear readers, it's true that ever since Trump took over MUO, the emphasis has purely been on looks. Forget personality or intelligence. As long as you can express yourself very well, regardless of the content of your spiel - and look stunning at the same time - then you're in.

I was dissapointed to know this reality that Miss Perto Rico beauty was not natural. It is dissapointing. Then, Delfin concludes


So that's it, folks. Until next year. Congratulations to the Isle of Enchantment for producing a beautiful queen. But to many of us, the Samurai Queen reigns supreme.



Well, Miss Universe is a beauty pageant, its about the beauty whether it is natural-born or artificially-made. I still believe that Kurara was the strongest and she showed her persona, and wish the best luck for the new Miss Universe Japan to seize the title in Mexico.





こめんと [ 0 ] とらっくばっく [ ]
無力。
CATEGORY : [Thoughts] 2007/04/02 10 : 00
自分が大好きな人が苦しんでいる
大切な人が痛みを抱えている

でも、私はあまりにもちっぽけで何もできない
苦しみから解放することも
痛みを和らげることも
何の力も今の私にはない
いくら両手を広げても、何もできない
いくら自分を呪っても、何も変わらない

過去は過去で、過去を悔やんでも何ひとつ「今」は変わらない

だから、私はもっと大きくならなきゃいけない
だから、私はもっと強くならなきゃいけない


今度、またその人が苦しいときに支えられるように
その痛みを少しでも取り除けるように
私には、そんなことしかできない


だから、今はただ祈るだけ
それしか出来ない
どうか早く安らぎが訪れますように
どうか早く笑顔が戻りますように
どうか音楽がまた心に鳴り響きますように


だから、自分を責めないでください
何も出来なかったなんて思わないでください
どれだけの人に「音楽をする心」を与えてきたのか思い出してください
私は、いつだって心から敬愛しています
世界で一番尊敬する音楽家です
どんなに著名な音楽家だって負けません
世界中が敵になっても、私はいつだってon your sideです
だから、音楽からピアノからは遠ざからないでください
私に「音楽」を与えてくれた人だからこそ、私にいつも光を照らしていてほしい
またその「音楽」で私たちを満たしてください


祈り続けます
毎日、毎朝、毎晩
心から音楽がわきだすようになるまで
音楽が喜びにかわるようになるまで
祈り続けます



待っています
いつまでもずっと







こめんと [ 1 ] とらっくばっく [ ]
人生を考える
CATEGORY : [Thoughts] 2007/03/31 08 : 34
というのは大げさですけど、
24歳を迎えてですね、色々想いを馳せてみました。


どんな人生歩みたいか。
そりゃ、音楽に囲まれて、あははと大口を開けて笑えて
美味しいものと素敵な人々に囲まれて、温かい時間を送りたい。
死ぬときに「ああ、良い仕事した」とか「楽しい人生だった」って思える人生がいい。


どんな大人になりたいか。
人の痛みがわかる人間。
感謝のできる人間。
おごらない人間。
向学心につきない人間。
心豊かな人間。

世の中には富や名声、ステータスに惑わされて、そういうことでしか他人をジャッジできない人がいる。寂しい人たちだと思う。お金がないから、高等教育を受けてないから、それだけを理由に他人を見下す人は貧しい人だと思う。


私は、私。
今は何もできない。
何もする力がない。
でも、いつか私にしか出来ないことをやる。
どんなことでもいい、私の生み出すものが皆の笑顔になるなら、どんな努力も惜しまない。
だから、今日を精一杯に。
明日、後悔しないように。
1年後に後悔しないように。


今あることは「永遠」じゃない。
良いことも、悪いことも。
Nothing is forever.

過去の私を、今の私に。
今の私を、未来の私に。
遠回りでもできることから、少しずつ。



24歳、がんばります!










こめんと [ 0 ] とらっくばっく [ ]
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